日記・コラム・つぶやき

2023年7月26日 (水)

仙台生活の終焉

14年前から、3回にわたり、ちょうど計10年の仙台生活を続けてきましたが、今月末で終わりとなります。

宮城県・仙台市は、今や「第2の故郷」以上の存在であり、一抹の寂しさどころではない、万感の思いを禁じえません。

この間、所属会社の皆様をはじめ、この地の皆様には大変お世話になりました。

この場を借りて厚く御礼申し上げます。

一昨年の東日本大震災10年の節目をこの地で迎え、鎮魂のための各種活動を実施できたことが一番の思い出です。

来月から東京に戻りますが、警察謝恩伝道士としての語り部活動は継続します(お声がけいただければ、いずこなりとも参上します)し、心機一転、新たなNPO法人の立ち上げも企図しております。

できましたら、引き続き小欄をご笑覧いただければ幸いです。

 

2021年7月 9日 (金)

りらく(仙台情報誌)

少し前のことになりますが、「りらく」という雑誌の「思い出写真館」というコーナーに、私のことが取り上げられました(20214月号vol.272)。「思い出写真」を2枚ほど選んで、それについて自分で解説するという趣向です。

https://www.riraku-sendai.co.jp/backnumber/

そのページを丸ごとここに掲載するのは、著作権に触れるおそれがありますが、その2枚の写真のキャプションは次の通りでしたので、手前味噌ながら紹介します。

① 201145日、大津波で破壊されたK警察署O駐在所の建物前にて。この時の現場視察に同行してもらった当時のC課長、G秘書官、B主任(撮影者)は、私にとって、宮城県警の「戦友」の代表的な存在

② 20131027日、「仙台ゆうわくクラブ」創立40周年記念試合(対岩手不惑@蔵王くるみグラウンド)でオフロードパスをしようとする場面。我々は2週間前の敗戦の雪辱を目指したが、712で逆転負けした

(小欄(拙ブログ)では、これまで、私がラグビーを続けていることに触れたことがない(趣旨が違うので)のですが、先日,仙台のラグビー仲間から、「ブログ、見てます!」と言われたので、「おきて」を破ってラグビー話を少しだけ載せてしまうことにしました!)

文章の方も、少しだけ引用します。

K警察署O駐在所で勤務していたC警部(階級は特進後)は、受持ち区域で避難誘導に従事中、津波の襲来を受け、職に殉じました。彼は、住民から慕われる模範的な「駐在さん」でした。震災の少し前、K署若手警察官との座談会で、英語も堪能な彼から、駐在所での語学学習方法について質問されたことを鮮明に覚えています。(略)私は、もっと早く被災地の実情をこの目で確かめたかったのですが、国との調整、県庁会議への出席等に追われ、最初に現場に出たのは324日でした。45日は7回目の現場視察であり、K市災害対策本部会議への出席、避難所(市民会館)の訪問、夜間の市内パトロール等を行ったのですが、写真を見るたび、あの当時の非日常的生活が脳裏に浮かびます。(略)

大震災の前から、私は、勝手に、チーム宮城県警のキャプテンであろうとしました。大震災の時も、警察庁や知事への要請等は、私の役目として、しっかり取り組む。そして、苦難の現場で頑張っている職員一人ひとりに向け、直接メッセージを届ける工夫をする。そういった考え方は、ラグビーを通じて学んだような気がします。

さて、この雑誌の当該記事については、最近発見した後日談があります。それは、宮城県図書館「叡智の杜Web」の郷土関係論文目録に載ったことです。

https://eichi.library.pref.miyagi.jp/da/detail?data_id=010-1103688

通算8年以上、宮城県民(仙台市民)をしていて、「第2の故郷」意識がますます強いのですが、「郷土」の側に住民として認めていただいた気がして、少しうれしくなりました。

2020年12月17日 (木)

異常な年も師走に

コロナ禍一色の感のある2020年(令和2年)も12月に入り,いよいよ大震災10年の節目となる2021年(令和3年)が目前に迫りつつあります。この関係(「あれから10年」)では,今所属している会社の特別企画に関与したり,個人的にも一部マスコミから問い合わせを受けたり,といった具合で,当面は,あれから10年,10年というふうに,社会的関心も相当高くなる可能性があると改めて認識します。

他方,その後はいったいどうなるんだろう,10年の節目でまとめ・整理をしたら,はいおしまい,では,被災者の位置付けは,どうなってしまうのだろう,と思います。10年程度で簡単に忘れられたらたまらない,まして福島の帰還困難区域では,いわば今もなお被害が進行中なのに,と被災者の皆様は感じるのではないでしょうか。

そういう意味で,来年は,3.11以降の例えば4月の月命日に,どういう取り上げられ方をするか,注視していきたいと思うこの頃です。

2015年12月29日 (火)

今年もあとわずか

皆様のおかげで、今年は警察謝恩伝道士としての活動を開始し、相当充実した1年になりました。

心より御礼申し上げます。

結局、10府県+警視庁福生署で講演をさせていただきました。

また、「いろは川柳カード」も多くの方からご用命をいただきました。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

来年は、1月に講演で5県を訪問するなど、計画目白押しです。引き続き、ご支援賜りますようお願い申し上げます。

2015年11月19日 (木)

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  • 2015年9月23日 (水)

    そもそも警察謝恩伝道士とは

    私は、さる1月に、3310ヶ月の警察人生に終止符を打ちました。一方、現在の自分の年齢、気力・体力等を顧みても、別の形での社会貢献は十分できるはずであり、退官を契機に、新たなことにチャレンジしたいと思ったところです。その際のキーワードが、何になるか。自分なりに考えました。その結果、思い浮かんだ2つの熟語、それは「感謝」と「伝達」でした。

    そうだ! 第2の人生においては、これまでお世話になったことの「感謝」を込めて、僭越ながら、私の知見(もとより浅学非才ですが、これまでの経験に基づいたある程度独自性のある知見はある)を警察職員に「伝達」し続けよう。これが、「警察謝恩伝道士」になろうと決めた動機です。

    特に、東日本大震災の際、その対応に当たったことは、主観的・客観的にみて、やはり特異な経験であり、自分に何ができるかを考える際にも、一つの基点になると思いました。(大惨事をアピールに用いる形となるのは、本来非常に不本意ですが、犠牲者を悼み、被災者を想いながら、いわば天与のお役目として粛々と果たす所存です。) 

    あの筆舌に尽くしがたい現場の苦労を無駄にせず、次の大規模災害への対応につなげるにはどうすればいいか。殉職者を出さずに、効果的な避難誘導を行うにはどうすればいいか。悲しみのどん底にいる被災者に心を寄せ、精一杯の活動を行ったときのあの崇高な使命感を風化させないためには、どうすればいいか。そして、何よりも、全国警察が一丸となって、被災県警察を支援していただいたことに対する感謝の気持ちを表すには、どうすればいいか。私に課された使命は、大震災の教訓を語り継ぐことで、あの時お世話になった皆様に対し、ご恩返しすることではないか。このように強く感ずる次第です。

    また、併せて、「幸せな警察人生」についても語りたいと思っています。私は、警察職員が不幸な目に遭わず、仕事にやりがいを感じながら、充実した幸せな人生を送ることがいかに重要か、痛切に感じてきました。充実した幸せな警察人生を送れるよう、陰ながら応援したいと強く思います。誠に勝手ながら、警察職員の皆様に対し、「謝恩伝道」の活動を通じ、引き続きエールを送ります。