昨日はスマトラ沖地震20年の節目でした。
全体で22万人もの犠牲者が出た超巨大津波の震災でしたが、特にプーケット島を中心としたタイでの邦人被災(死者28名、行方不明1名)に対し、国際緊急援助隊を派遣して対応しました。当時は、まさに担当の国際課長でしたので、痛烈な思い出があります。
その時のタイの一等書記官だった原幸太郎氏とは、その後の宮城県警本部長時も含めご縁浅からぬ関係にあります。
その彼を朝日新聞の石橋記者が取材して、またも素晴らしい内容の記事にしてくれました。
https://www.asahi.com/articles/ASSDL0D3ZSDLUNHB006M.html(有料記事)
有料部分では、下記の下りが印象的です。
海外で大災害や事故、戦乱に多数の日本人が巻き込まれる事態は今後も起こりうる。原さんは、発災国の態勢によるとしたうえで、「いつでも派遣できるよう、行方不明者捜索や身元確認の専門家チームを準備しておくべきだ」と提言している。
専門家チームとは、DVI(Disaster Victim Identification)チームのことで、欧米等では国内・国外を通じ、医師を含めた同じチームで対応するのが定番なのに、日本では、国際緊急援助隊でも、国内被災でも、検視部隊と医師・歯科医師は別個に派遣されて、現地で初めて顔を合わせることがむしろ多いところです。諸事情により、すぐに日本では解決しない課題ですが、この問題の所在を教えてくれたのも原氏でした。
さて、スマトラ沖地震の巨大津波は、海を越えて相当遠方にまで達して、甚大な被害をもたらしたわけですが、日本でも遠方まで達する海溝型地震津波が発生したことが何回もあります。
東日本大震災や1960年のチリ地震津波もそうでしたが、古くは、例えば、「明和の大津波」もそうです。
1771(明和8)年4月24日、石垣島南方沖で発生した八重山地震津波のことですが、この時の津波は異常な引き潮で始まり、大波は3回襲来したと記録。最も被害の大きかった石垣島では島の面積の約40%が波にさらわれ、一部沿岸集落では死亡率が8割を超え、八重山全域の死者数は約1万人に達したと言われています。
実は、今月は18日に沖縄県警察本部で講演したのですが、その時この「明和の大津波」の話もしました。もちろん、県警関係者の多くにとっては常識だったと思いますが、島しょ県である沖縄にとって、こういった海溝型地震津波の怖さを如実に示すものとして、敢えて引用させていただきました。
ローカル紙の取材も受けて、下記のような記事も出ました。
12月21日 沖縄タイムス 「災害に備える大切さ訴え 元宮城県警本部長竹内さん 那覇で講演 東日本大震災の教訓語る」
(略)沖縄では今年4月に、台湾東部地震が発生後に津波警報が出された。11月には本島北部で豪雨による被害も出た。
講演後記者団の取材に応じた竹内さんは「島しょ県であり、かなりの遺体が流されて身元確認が困難になる可能性もある」と指摘。災害時における行動計画(タイムライン)などを、準備しておく必要があると訴えた。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1494784
12月21日 琉球新報 「大震災の教訓伝える 元宮城県警・竹内さん 沖縄県警職員が聴講」
2011年に東北地方などに甚大な被害をもたらした東日本大震災の発生時に、宮城県警で本部長を務めていた竹内直人さん(67)=東京都=が18日、那覇市泉崎の県警本部に訪れ、実体験を基にした被災時の対応などについて講演した。県警職員約60人が聴講した。(略)
災害に対する身構え方についても話した。各種避難指示が出た場合、逃げることを当たり前にする必要性を指摘。一方で、津波などが到達せず、被害がなかったとしても「(避難したことが)空振りで良かったじゃないか。安全なんだからと、思えることが大事だ」と話した。
講演後、報道陣の取材に答えた竹内さんは、沖縄で地震が起きた場合、島しょ県のため応援部隊が駆けつけるまでに時間がかかるとして「東北でもスムーズにはいかなかった。虚心坦懐(きょしんたんかい)に考え、備蓄を増やすなど、各分野で想定し、準備する必要がある」とした。
https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3795607.html
ということで、今年の活動もほぼ終わりになりましたが、年明けは、能登半島地震1年、阪神淡路大震災30年と節目が続きます。
災害対策の強化には、逆にプラスの面もあるでしょう。弊法人(サンポッド)としても、活動を更に展開していきたいところです。