6月14日:岩手・宮城内陸地震から14年
宮城・岩手両県で死者17名・行方不明者6名等の深刻な被害をもたらしたこの地震は、私が宮城県に着任した年の前年の発生でしたが、行方不明者のうち、山形県金山町のご夫婦(注:軽トラックご乗車中の被災と目されていた)の再捜索については、2010年8月に実施されましたので、よく覚えております。
https://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKC0440_T00C10A8000000/
http://www.kousyo-sagyo-car.com/tag/%E6%8D%9C%E7%B4%A2/page/43
東北大学の協力で2009年に行われた金属探知機使用探査の結果、車両が埋まっている可能性ありとされた3ヶ所はいずれも急峻ながけであり、当時、作業に当たった方々は、細心の注意を払いながら、手掛かりを求めて必死に捜索したのですが、残念ながら、未発見に終わりました。
そして、ご家族も了承されたということで、本件捜索は打ち切りになり、その時はそういうものだと思ったのですが、東日本大震災の行方不明者捜索が今も行われていることにかんがみれば、もちろん単純比較はできないものの、少し複雑な心境にもなります。山梨県道志村の3年前の行方不明女児の人骨らしいものが今年発見されたことからすると、今後、例えば大雨等で地形が大幅に変われば、手掛かりを得る機会が生まれないとも限らないのではないか。再捜索を開始すべきという趣旨では全くありませんが、少なくとも、地形の大幅変更の際には、過去の本件捜索の事実を思い出すことは必要かもしれない。一民間人としての感覚にすぎませんが、この地震の発生14年目にこのように思う次第です。
ちなみに、この地震による荒砥沢崩落現場(宮城県栗原市)は、本部長時代に実査して、まさに「日本のグランドキャニオン」と呼ばれるに至った惨状に呆然としたのですが、3年前に私用で岩手県一関市を通過した際、祭畤(まつるべ)大橋の落橋現場を初めて訪れ、68mの国道橋が無残に変形した姿を目の当たりにして、自然現象の猛威の前では人間がいかに無力か、改めてつくづく思い知ったところです。
自然現象の猛威と言えば、昨日はたまたま、東奥日報の旧知のS記者から、東奥春秋というコラムに「危険な自然現象」と題する文章を執筆したとの連絡を受けました。小欄2021年9月の「東北管区警察局講演(3回目)」でもS記者のインタビューについて触れましたが、今回も「危険な自然現象は避けられないが、知識を深め、事態を想像し、準備すれば被害は抑えられる。全ては自分の行動次第だ」と書かれています。まさに、「我が意を得たり」との思いです。
(知らないうちに小欄も101回目の拙文登載となりました。引き続き雑文執筆を続けたいと思います。)