2025年4月 8日 (火)

NPO法人災害時警友活動支援ネットワークのYouTubeチャンネル

近頃は何でも(世の中の皆様に知ってもらうには)動画頼みのところがある感じがします。

我々のNPO法人災害時警友活動支援ネットワーク(サンポッド)でも、ようやくYouTubeチャンネルを開設できました。

ただ、一般公開可能なコンテンツがまだ少なく、去年の「ぼうさいこくたい2024@熊本」でのステージ発表動画1本だけですが、ご関心のある方、ぜひご覧ください!

https://www.youtube.com/channel/UCZ_559pgZCLk191A8YtRclg

2025年3月11日 (火)

14年目の3.11

また鎮魂の日が巡ってきました。

今朝のNHKニュースでも、トップで取り上げられたので、「風化」の問題は当初危惧したほどではないようにも思います。

一方で、大船渡山林火災(ようやく鎮火:消防関係者等、対応に当たられた方々に衷心より敬意を表します)の被災者の「二重被災」の様子を見聞きするにつけ、何とも切ない気持ちになります。

この一年を振り返ると、サンポッド(NPO法人災害時警友活動支援ネットワーク)として、また警察謝恩伝道士として、お陰様でかなりの活動をしてまいりましたが、まだまだ災害現場に対する貢献という意味では不十分との思いを新たにいたしました。

次の一年、更に努力を積み上げる!との決意をする日になりました。

すべての犠牲者のご冥福をお祈り申し上げますとともに、すべての被災者に衷心よりお見舞いを申し上げます。

2025年3月 7日 (金)

テレビ朝日「テレメンタリー」

3月8日(土)早朝4時50分から、テレビ朝日「テレメンタリー」で下記番組が放映されます。
取材を受けた私や、宮城県警のOBが登場するものと思われます。
サンポッドについても言及があると期待しております。
「“3.11”を忘れない94 警察官の3.11」
https://www.tv-asahi.co.jp/telementary/#seciton-next-notice 
東日本大震災当時、最前線で人命救助にあたった警察官。未曾有の事態に混乱する中、
宮城県警トップとして指揮を執った竹内直人さんは、「1万人地獄 これから本番 現
場はもっと辛い」と手帳に記した。県内では、警察官14人が住民の避難誘導中に津波
に巻き込まれ、殉職した。部下を失い、あの日の判断を自問自答する者。連日運び込ま
れる多くの遺体に向き合い、次の災害への備えを問う者。あの日、震災とどう向き合っ
たのか。語り始めた警察官の3月11日。
(系列局の放送日は違っております。)

第30回日本災害医学会総会・学術集会

昨日開催された標記集会のパネルディスカッションにおいて、パネリストとして発表しました。

医師多数を含む学会の発表は、慣れないことばかりでかなり当惑しましたが、何とか無事お役目を果たしました。(資料配布の習慣がない学会だそうで、スライドを流すだけで聞き手に伝わるのだろうか、と僭越ながら思いつつ、発表した次第です。私自身はサンポッドのリーフレットと、発表スライドのごく一部などを印刷配布しました。)

お誘いいただいた熊谷先生、昨日のPDでお世話になった小山先生・出羽先生には、貴重な機会を頂戴したことを改めて厚く御礼申し上げます。

会場に、全く偶然で、大学ラグビー部後輩のG君が来ていました!(ビックリ!)ので、写真撮影を依頼してしまいました(G君、ありがとう!)他にも、秋田大学の門廻先生はじめ、いろいろな方とお会いできたのも収穫です。これを今後のサンポッド活動にもつなげたいと思います。

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30回日本災害医学会総会・学術集会記念大会(2025368日 名古屋)https://www.congre.co.jp/30jadm/

日時:202536日(木)11:0012:3090分>

会場:名古屋市国際展示場(ポートメッセなごや)交流センター内第4会場

パネルディスカッション2「行政が振り返る東日本大震災犠牲者・遺族対応-未来へ伝承すべき医療との連携-」

司会者(座長)熊谷章子(岩手医科大学法科学講座法歯学・災害口腔医学分野)

他のパネリスト 元岩手県総務部総合防災室室長・小山雄士、前岩手医科大学法科学講座法医学分野教授・出羽厚二

パネルディスカッション趣旨:東日本大震災から14年、様々な問題が浮き彫りとなった犠牲者とその遺族対応について、あの時岩手県に行政という立場で現場にいた者たちと共に振り返る。大勢の被災者対応に追われる一方、大量の遺体とその遺族対応をも強いられた自治体職員や警察官は、その時何を思って活動していたのか。それを指揮する立場の者はいったい何を目指していたのか。発災直後から経時的に変化してゆく犠牲者・遺族対応の総括的管理は誰が担うべきだったのか。災害被災者への医療提供と比較すると、この領域に関しては十分な議論が行われず課題が山積したまま時が過ぎてしまっていることは否めない。このPDでは、それぞれの立場から東日本大震災時の犠牲者死因究明、身元調査、行方不明家族を探す被災者たちへの対応、そして災害対応者の惨事ストレスの実際を提示していただき、今だから語れる行政として賞賛すべきこと、欠けていた能力、悔やまれる事項を共有することで、改めて医療従事者や学究的領域の者たちと行政との連携を考察し、次の災害対応を担う者たちに伝承することを目的とする。(下線竹内)

竹内発表要旨:東日本大震災の際、宮城県警は、非常に厳しい現場に直面し、事態打開のため、前例のない各種取組を試行錯誤で行った。それらは、死者・行方不明者数甚大と見込まれる中、困難な条件下でも、全遺体に可能な限りの礼を尽くし、全遺族に誠心誠意向き合うためのものであった。例えば、初日の晩に「行方不明者相談ダイヤル」の設置を指示、12日朝から運用を開始、膨大な安否不明者リストからの絞り込みを行ったほか、同日には県警主体で大規模遺体安置所の設置・運用を開始した。14日には警察庁に多数遺体検視マニュアルの簡略化を要請、16日には市町村長宛書簡をしたため、課長クラスを説明に行かせた。さらに、遺体安置所がオーバーフローするおそれが生じたため、市町村の埋火葬対策を積極的に支援したほか、遺体安置所における遺族接遇も警察主導で行った。現在、警察も市町村も、防災基本計画上の整理に従って役割を分担する方向だが、次の大規模災害の際には、むしろ「広義の行方不明者対策」(私見)に沿った連携が必要不可欠ではないか。また、遺体引渡しの過誤も生じたことから、身元確認面での更なる対策強化も必須と考える。(下線竹内)


2025年1月23日 (木)

能登半島地震1年、阪神淡路大震災30年

標記の震災は、それぞれ1月1日で1年、1月17日で30年経ったわけですが、改めて年の初めから、災害対策の重要性を痛感します。規模その他で違いはあるものの、いずれも衝撃的な災害だったと思います。

そういう節目を経て思うこと。それは、今年、我々のNPO法人災害時警友活動支援ネットワーク(サンポッド)も、4月から3事業年度目になるということです。会員皆さまと共に、これまで以上に事業活動を展開したいという思いが強いです。(もちろん、人的基盤・財務基盤の確立と「車の両輪」で進めていかなければならないので、焦っても仕方がないのですが・・)

ところで、年末(12/27)に、旧知の共同通信K記者が、以下のような「オピニオン欄用記事」を配信していただきました。著作権に触れない程度に、一部だけ引用させていただきます。(私自身の記名執筆形式ですが、実際はK記者の取材記事です。掲載紙は、熊本日日新聞 神戸新聞 東奥日報 山陽新聞 佐賀新聞 愛媛新聞 沖縄タイムス 新潟日報等の地方紙だったと思われます。)

視標「能登半島地震1年」(オピニオン欄用)「広義の行方不明者対策を」「関係機関の連携強化必要」

能登半島地震では、石川県庁が安否不明者の氏名を公表し、救助対象者の絞り込みを図った。救助活動を効率化・円滑化するのが目的で、内閣府が 2023 年3月に出した指針に基づく対応だ。震災による不明者対策について改めて考えてみたい。(略)

私は東日本大震災が発生した 2011 年3月、宮城県警の本部長だった。能登半島地震も大災害で、石川県による安否不明者の公表は評価できると思う。だが、発生が懸念される南海トラフ巨大地震や首都直下地震は犠牲者数が格段に増える。内閣府の指針のやり方では機能しない恐れもある。(略)

自治体の役割とされる遺体安置所の設置・運営や行方不明者情報の収集・公表は、警察が実施する捜索、検視、身元確認と密接な関連があり、医師による検案、更には埋火葬までも含めた業務全体を「広義の行方不明者対策」としてとらえるべきだ。実際、東日本大震災では、宮城県警は行方不明者の相談ダイヤルの開設、遺体安置所での被災者対応、安否不明者リストの公表、埋火葬支援など本来は市町村がやるべき業務を試行錯誤で実施した。巨大震災の発生時、同様の事態が生じる恐れがある。関係機関は、連携を更に強化して、「広義の行方不明者対策」の考えに沿った準備を進めてほしい。

2024年12月27日 (金)

スマトラ沖地震20年、沖縄県警講演

昨日はスマトラ沖地震20年の節目でした。

全体で22万人もの犠牲者が出た超巨大津波の震災でしたが、特にプーケット島を中心としたタイでの邦人被災(死者28名、行方不明1名)に対し、国際緊急援助隊を派遣して対応しました。当時は、まさに担当の国際課長でしたので、痛烈な思い出があります。

その時のタイの一等書記官だった原幸太郎氏とは、その後の宮城県警本部長時も含めご縁浅からぬ関係にあります。

その彼を朝日新聞の石橋記者が取材して、またも素晴らしい内容の記事にしてくれました。

https://www.asahi.com/articles/ASSDL0D3ZSDLUNHB006M.html(有料記事)

有料部分では、下記の下りが印象的です。

海外で大災害や事故、戦乱に多数の日本人が巻き込まれる事態は今後も起こりうる。原さんは、発災国の態勢によるとしたうえで、「いつでも派遣できるよう、行方不明者捜索や身元確認の専門家チームを準備しておくべきだ」と提言している。

専門家チームとは、DVI(Disaster Victim Identification)チームのことで、欧米等では国内・国外を通じ、医師を含めた同じチームで対応するのが定番なのに、日本では、国際緊急援助隊でも、国内被災でも、検視部隊と医師・歯科医師は別個に派遣されて、現地で初めて顔を合わせることがむしろ多いところです。諸事情により、すぐに日本では解決しない課題ですが、この問題の所在を教えてくれたのも原氏でした。

さて、スマトラ沖地震の巨大津波は、海を越えて相当遠方にまで達して、甚大な被害をもたらしたわけですが、日本でも遠方まで達する海溝型地震津波が発生したことが何回もあります。

東日本大震災や1960年のチリ地震津波もそうでしたが、古くは、例えば、「明和の大津波」もそうです。

1771(明和8)年4月24日、石垣島南方沖で発生した八重山地震津波のことですが、この時の津波は異常な引き潮で始まり、大波は3回襲来したと記録。最も被害の大きかった石垣島では島の面積の約40%が波にさらわれ、一部沿岸集落では死亡率が8割を超え、八重山全域の死者数は約1万人に達したと言われています。

実は、今月は18日に沖縄県警察本部で講演したのですが、その時この「明和の大津波」の話もしました。もちろん、県警関係者の多くにとっては常識だったと思いますが、島しょ県である沖縄にとって、こういった海溝型地震津波の怖さを如実に示すものとして、敢えて引用させていただきました。

ローカル紙の取材も受けて、下記のような記事も出ました。

12月21日 沖縄タイムス 「災害に備える大切さ訴え 元宮城県警本部長竹内さん 那覇で講演  東日本大震災の教訓語る」

(略)沖縄では今年4月に、台湾東部地震が発生後に津波警報が出された。11月には本島北部で豪雨による被害も出た。

講演後記者団の取材に応じた竹内さんは「島しょ県であり、かなりの遺体が流されて身元確認が困難になる可能性もある」と指摘。災害時における行動計画(タイムライン)などを、準備しておく必要があると訴えた。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1494784 

12月21日 琉球新報 「大震災の教訓伝える 元宮城県警・竹内さん 沖縄県警職員が聴講」

 2011年に東北地方などに甚大な被害をもたらした東日本大震災の発生時に、宮城県警で本部長を務めていた竹内直人さん(67)=東京都=が18日、那覇市泉崎の県警本部に訪れ、実体験を基にした被災時の対応などについて講演した。県警職員約60人が聴講した。(略)

 災害に対する身構え方についても話した。各種避難指示が出た場合、逃げることを当たり前にする必要性を指摘。一方で、津波などが到達せず、被害がなかったとしても「(避難したことが)空振りで良かったじゃないか。安全なんだからと、思えることが大事だ」と話した。

 講演後、報道陣の取材に答えた竹内さんは、沖縄で地震が起きた場合、島しょ県のため応援部隊が駆けつけるまでに時間がかかるとして「東北でもスムーズにはいかなかった。虚心坦懐(きょしんたんかい)に考え、備蓄を増やすなど、各分野で想定し、準備する必要がある」とした。

https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3795607.html 

ということで、今年の活動もほぼ終わりになりましたが、年明けは、能登半島地震1年、阪神淡路大震災30年と節目が続きます。

災害対策の強化には、逆にプラスの面もあるでしょう。弊法人(サンポッド)としても、活動を更に展開していきたいところです。

2024年12月 1日 (日)

その後の活動(11月6日行徳署講演、11日山形県警講演、15日滋賀県警講演、28・29日中部ライフガードTEC出展)

その後また講演活動等で結構忙しくしていたため、小欄の更新がまたもや大幅に遅れてしまいました・・

11月に入り、6日・11日・15日とかなり「過密日程?笑」で講演をしてまいりました。

お声がけしていただいた皆様に改めて感謝申し上げます。

千葉県行徳警察署では、隣接浦安署、市川市役所、同市消防局の方々も含め、熱心に聞いていただきました。お一人、行徳署交通課に、13年前の大震災時に応援派遣で宮城県に来ていただいた方がおられ、当時、がれき運搬車両の粉塵朦々たる中で、滅灯信号機の代わりに交通誘導をしていただいたことに直接御礼を述べることができたのが、個人的には印象深い出来事でした。

山形県警本部では、7月の豪雨で警察官2名が殉職した事案を受け、本部長以下の幹部に対し、「災害警備指揮の重要性と警察職員の安全」に重点を置いた講演をいたしました。殉職事案後のご心痛いかばかりかと思うと、なかなか切ないお役目でしたが、この時期に敢えて講演会を企画した県警のご英断をたたえつつ、精一杯お話ししました。下記は有料記事ですが、関係報道です。

https://kahoku.news/articles/20241115khn000063.html

滋賀県警本部では、日程設定等の事前準備や当日の移動で若干苦労しましたが、何とか無事現地に着いて、お役目を果たすことができました。恥ずかしながら、13年前は職員の健康管理に対する配意等が全く不十分であったことも吐露して、「他山の石」にしていただくようお話ししました。

先週28・29日には、「中部ライフガードTEC」という防災展がポートメッセなごやで開かれました。初めての経験でしたが、NPOは出展費用が無料ということでしたので、ブース出展に踏み切って、ポスター類の展示、リーフレットの配布等をいたしました。広い展示場の一角に過ぎないブースへの集客はなかなか難しい(来場者の中から、ターゲットにしていた自治体関係者を判別するのが特に困難)と痛感しましたが、「共同出展」した全国足紋普及協会の足紋採取会はなかなか盛況でした。

一方、昔大変お世話になった愛知県警OBや、以前警察庁記者クラブにいた記者の方と久々にお会いできたのは大収穫でした。(若手記者による記事配信もしていただくことができました。)

かなり多忙な11月でしたが、語り部としては、お陰様で充実した日々を過ごすことができました。ありがとうございました!
 

 

 

 

 

2024年10月25日 (金)

その後の活動(9月24日サンポッド講演会、10月7日逗子署講演、19日ぼうさいこくたい)

その後講演活動等で結構忙しくしていたため、小欄の更新が大幅に遅れてしまいました・・

既報の9月24日講演会(8月31日付小欄で予告紹介)については、下記のように開催いたしました。

出席者数は、なお精査中ですが、会場がゲストを含めて36名、オンラインが約120名でした。能登半島の豪雨のため、当初予定を大幅に変更せざるを得ませんでしたが、お陰様で、何とか終了までこぎつけました。

講演会「人的被害(死者、行方不明者、安否不明者)情報を巡る課題」(主催:NPO法人災害時警友活動支援ネットワーク、後援:警察政策学会)

1 日 時:令和69 24日(火)1330-1645

2 会 場:港区新橋1-18-21 第一日比谷ビル8F新橋ビジネスフォーラムセミナールーム

3 構 成

13:30 挨拶・講演会趣旨説明 竹内直人・NPO法人災害時警友活動支援ネットワーク(サンポッド)代表理事

13:45 講演(時間は(1) 40 分、(2)(4) 10 分、(5) 20 分の当初予定)

(1)横浜国立大学大学院国際社会科学府(国際経済法学専攻)教授(行政法)板垣勝彦氏

2)内閣府政策統括官(防災担当)付参事官(災害緊急事態対処担当)小林弘史氏(リアルからオンラインに切り替え)

3消防庁国民保護・防災部防災課長 田中昇治氏(ご欠席)

(4)  警察庁警備局警備運用部警備第三課災害対策室長 黒川清彦氏(⇒代理:佐藤正季課長補佐)

5)  元石巻市総務部危機対策課事業推進官 木村伸氏

休憩後 1530 ディスカッション(進行:荻野徹・サンポッド理事)

1645 終了

※ 記録等は現在整理中ですが、いずれサンポッドHPに掲載する予定です。

 

 

次に、10月7日に神奈川県警察の逗子警察署において、講演会を実施しました。逗子市役所から桐ケ谷市長はじめ30数名の職員(消防本部を含む)が参加されたこともあって、手前味噌ながら、警察署(署員30数名が出席)と自治体との今後の連携強化のきっかけになるような有意義なイベントになりました。誠にありがとうございました。

 

 

さらに、10月19・20日と熊本で開催された「ぼうさいこくたい」(防災推進国民大会、内閣府主催)で、初日の土曜日に、約20分の下記「ステージ発表」を行いました。

サンポッドとして初めての出展・参加で、法人の名前等のPR面で多少なりとも効果があった(既知の防災関係者多数と現地で再会することもできた)と思う一方、あまりにも時間が短い(+聞き手も30名弱)ということを改めて認識しました。

来年以降のこのイベントへの参加をどうすべきかは、要検討だと思いました。

他方、熊本に行くこと自体が初の体験でしたし、県警本部長への表敬を含め、思い出深い旅行にはなりました・・ 県警のご担当はじめ、聞きに来てくれた方々に、深く感謝申し上げます。

「万人単位の犠牲者」への備えは大丈夫?~東日本大震災の経験を踏まえて 

https://bosai-kokutai.jp/2024/st05/

 

2024年10月 7日 (月)

3.11メモリアルネットワーク主催のトークセッション

9月22日、石巻で下記のトークセッションが開催され、スピーカーの一人として参加してまいりました。

「9日後の救出、それぞれの “3.20” ~当事者・救助者・報道の立場から~」というタイトルで、「東日本大震災発生から9日後、宮城県石巻市で救助された当時の高校生(阿部任さん)と、救助に当たった宮城県警本部長、河北新報にて救助を報じた記者によるクロストーク」が行われたものです。
https://311support.com/311talk_sessionr6_2nd
https://kahoku.news/articles/20240922khn000056.html (有料記事)

この救出は当時「奇跡の救出」と報じられたわけですが、当該高校生が今や立派に成人し、この主催団体での勤務を通して地元石巻の災害対策水準の向上に貢献している姿を見るのは、大変うれしく、しかも彼との再会(昨年12月以来2回目)がこういう意義深いイベントだったことも含めて、忘れられない一日になりました。

この救出は、膨大な数の死者・行方不明者への対応に苦慮し続けていた当時の宮城県警にとっては、まさに暗闇の光明のような出来事であり、当時我々は、よし!もうひと頑張りしよう!と誓い合ったものです。

また、語り部を続けていると、時々こういう機会が巡って来るので、こちらももう少し頑張って続けよう!という気になります。その意味で阿部任さんには、二重三重に感謝感謝です!


 

2024年9月14日 (土)

「都通」(東京都警察情報通信部)講演

10日、「都通」(警察関係者の使う組織名略称です)で講演してまいりました。大変光栄なことです。

何人か、前にお世話になった方がおられて、懐かしい再会もありました。

以前も書きましたが、東北管区警察局が3年前に「東日本大震災 警察通信活動の記憶~被災地で人命救助に従事する警察官を支えた情報通信職員の手記集」をまとめました。

https://www.tohoku.npa.go.jp/kohou/shuki.pdf

その中で、まえがきのような体裁の拙稿(下記)も掲載されておりますが、今回、情通部職員の皆様に対し、改めて13年前の素晴らしいご活躍ぶりをご紹介できました。

「発行に寄せて~人事院総裁賞受賞の経緯」(竹内直人)

・・・遺憾ながら、当時の宮城県警がいわゆる誤報を相当数発信してしまったという事実がある。しかし、誤報の基となったのは警察官による発話・発信の内容であって、手段としての警察無線は、むしろしっかり維持されていたのである。

・・・当時、(略)固定・携帯電話が通話困難になる中、警察無線は、各種の警察活動を行う上で、文字通り不可欠の情報手段となったのみならず、場所によっては、派遣された警察官の持つ警察無線機が市町村と県との間の唯一の情報手段となる局面すらあった。・・・

特に、ほぼ全域の停電が相当期間続く中、非常用発電機によって所要電力を確保するため、山頂付近の無線中継所まで徒歩で何度も上山して燃料を搬送するなどした情報通信部職員の活躍ぶりは、忘れることができない。まさに、彼らは、警察の神経系・生命線を守りぬいたのである。

今回の聞き手からのご感想の一部を謹んで紹介させていただきます。

東日本大震災当時、私は小学生で東北では大変な惨事が起きたとどこか他人事のように思っていた。しかし、現在警察職員として実際現場に出動する可能性があるということを今回の講演を聴講し、改めて実感した。いつ起こるかわからない有事に備え、常に危機管理を持って仕事に従事するように努めたい。

彼をはじめとする情通部職員の皆様の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げる次第です。

貴重な機会をいただき、誠にありがとうございました。

«講演会「人的被害(死者、行方不明者、安否不明者)情報を巡る課題」